好きなものは好きなんです。

好きなものを好きという、簡単で難しいこと

【関ジャニ∞】1ヶ月。

 

1ヶ月。1ヶ月というのはあっという間。最初の1週間は理解もできず、泣いていた。泣くのが疲れた頃には実感わかなくて、無で普通の日常を意識。その後、ほぼ何も無い時は泣かなくなったが、やっぱり思うと泣けてきた。

 

 

オタクとデュアルモニターをした。彼がいた。笑ってた。ひなちゃんが泣きそうな顔をしていた。「キングオブ男で亮ちゃんと手繋ぐのは誰かな?」「編成的にその前の3人のうち誰かじゃん?」1人ずつ想像して「やすかな?」って。実際に映像を見て、そこにいるのはすばるくんなのに泣いた。ずっとやってきた定番曲も変わってしまうのか。

 

Answerを見て泣いた。何にもわかんないけど、残す側と残される側として見てしまった自分がいた。どれだけ意志が固くて、物理的な距離が離れても親友と思っていても、残される側は辛いものは辛い。私はそれを知っている。

 

ノスタルジア。大号泣のまま、あの儚い美しさを見たが、そのまま大号泣していた。編成上、もしかしたらこの4人という組み合わせも減っていく、またはなくなるのかもしれない。

 

DVDを見なくても、日常に関ジャニ∞は溢れていて、ふとしたところで「これが最後」「もう最後」と平成ラストとカウントダウンするのと同じようにカウントしてしまった。

 

エイトレンジャーも私が好きなオモイダマも大阪ロマネスクも最後かな。もう「eighter」と呼んでくれないのか。好きな出だしはもう聞けないのか。

 

CDや記憶で残っていても、それは常に前進している関ジャニ∞とはずれが生じるし、記憶は美化される。私は捻くれ者だからそう思ってしまう。そんな1ヶ月だった。

 

定期的に深夜泣いた。今朝も情報解禁された大阪ロマネスクのMVで泣いていた。

 

 

『大阪から全国、世界へ』

 

『7人最後のMV』

 

 

淡々と言われる報道からの解禁情報は現実を突きつけるだけだった。彼の表情もコメントも最後やさみしさを感じた。何この意味深なやつ。いや、意味深も何も知ってる。聞いてる。今年の結成日は海外だって。今年のツアーからは彼はいないって。知ってる。ちゃんと知ってる。大丈夫。

 

何が大丈夫だよ。別グループの友達やジャニオタじゃない友達に「やだいなくなるのやだ」って何度言ったよ。もう1ヶ月なのに全く気持ちは変わらないし、意味わかんないし、は?って感じだし。もうほんと常にコップギリギリで生きてらから、喧嘩上等夜露死苦って感じの日常。そんなんだから彼らにもそんな感じに当たってしまうよ。ごめんね。悪くないのに。ちゃんと記者会見してくれたし、私たちのためにちゃんとみんなで言葉をくれた。でも、まだちゃんとしたの見れてないんだ。忘れようとして、実際見るの忘れてたんだけど、いざ見ようとなると怖くなって「もう見なくていいかな」って今日まできた。私はまだ私たちのためにしてくれたものを受け取れてないんだよね。

 

いい加減切り替えろってね。

 

でもね、フォロワーさんが教えてくれた。「時間は解決してくれないよ。妥協だよ」って。さすが先輩。私より何年も生きているだけあって、説得力増しすぎてますって。笑えないっすよ。

 

妥協、まだ出来なさそうです。

 

 

ツアーまでには切り替えたい。そう思ってる。いつもは何にもなくても泣けるぐらい涙腺げろ弱だけど、今回は一切泣かないで笑って自担に会いたいんだ。大丈夫だよー、元気だよーって。今回の件があるからってあなたから離れるわけじゃないよー。これからも一緒に笑っていこうねーって。

 

そうしたい。

 

それが目標であり、願望。

 

あああ~!でも私涙腺げろ弱だからなぁー!!!ほんと何でも泣けるから!!むしろ泣いてみせる!!ぐらいの勢いあるから!!!笑

困ったなぁー!!!

 

 

 

 

 

 

……ほんと困っちゃうよ、すばるくん。

ペンラやキンブレについて考えてみた。

 

きっかけは2018/04/29のSORASHIGE BOOK。

加藤シゲアキさんのラジオのお便りで「絶賛ツアー中のシゲアキさん的にはキンブレは賛成ですか?反対ですか?」というものが来て、シゲアキさんが『反対』と答えたというもの。

 

(∵)(キンブレ)反対です。これ言っちゃうとまた炎上しちゃうかな。ペンライト買ってとかそこまで言いたくはないのですけど、みんなも演出の一部というか、自分が自分がじゃなくてみんなで作り上げて行ったほうが一体感もあっていいんじゃないかなと。だから賛成か反対かであれば反対です。

 

とりあえず私が見たツイートを引用させていただいたのですが、これについて疑問が何点か上がった。

 

『キンブレを持っているファンの理由が理解出来ていないのでは?』とか『ファンはなぜペンライトを購入するのか?』とか『アイドルはペンライトをファンに買わせる理由は演出なのか?』とか。そんな疑問がどんどん出てくると、ちょっとイラッとしてきてしまった。

 

だって、ペンライトって2000円ぐらいするもので、使えるのってその年のみ。それを「演出のため」という確かに綺麗だけどそちらの満足のために買わせられていると考えられる。ファンのコンサート参戦スタイルはマチマチ。私は基本ペンライトは「思い出」として購入しているが、公演中は野鳥タイプなのでほぼ使わない。金額としてはそんなにしないが、使用価値が限られるものをそちらの自己満足で買うとなると少しムッとした。

 

まぁ、あの140文字でのツイートなのできっと言葉が省かれているし、ニュアンスが伝わらないと思い、音声を聞くとそんなことなかった。シゲアキさんは優しく言葉を選び、説教臭くならないように気を使っている。『反対』と言ったのもリスナーが「賛成か?反対か?」と聞いているからそう答えているのかもしれない。実際さっきまでムッとなっていたが、ずっと収まった。

 

 

もしかして、キンブレについてファン同士で揉めているのはファンや記事など間接的媒体のせいなのでは?と思った。

 

文字にするとその言い方や少しの間で意味は変わってくる。文字数制限されたもので伝えようとすると、語を少なくするからより言い方は強くなるし、細かいニュアンスは伝わりにくくなる。また、何でもそうだがやることには意味があるし、禁止していることにも意味がある。だが、どちらがを強く言ってしまうと反発心というものが必ず出てくる。それも関係してくるのではないか?

 

 

ちなみに反発心でムッとして色々書いたが、私自身はキンブレについてはどうも思ってない。キンブレシートは過去に作ってもらったことがあるが作ってくれた人に会えていないので手元にはないし、まずキンブレ自体過去に持っていたものは壊してしまい手元にはない。なので、私は現場に持っていかないし、もし持っていたとしてもフォトジェニッとしてしか使わないだろう。だって、手にはペンラを持つ余裕等なく双眼鏡が握られるから。そんな私から見たキンブレとペンライトについてを書いていこうと思う。

 

 

 

ジャニオタになる前はライブに通っていて、その時はサイリウム(百均などで売っている使い捨ての光量の弱いペンライト)から、コスパが悪いことに気づきキンブレに変えた。サイリウムは使い捨てだが、キンブレは電池が切れたら変えることが出来るし、廃ることがない。つまり、壊れるまで一生モノだと知っている。また、光量も強いから一段と綺麗な世界観が生まれることも知っている。

 

つまり『金額』という面でいえば、ペンラよりも断然キンブレの方がコスパがいい。ペンラはその年のみ。しかし、キンブレは壊れるまでずっと。

 

なので、たまに『キンブレ買うお金があるなら、公式ペンラぐらい買えるだろ?』という煽りや注意の仕方は少しずれている。実質、コスパはキンブレの方がいいのだから。

 

 

また、シゲアキさんも言っていたように『世界観の統一』の視点から見てみる。

 

確かにあの同じカラーで統一された世界観は美しい。だが、実際コンサートに行くと、昨年や過去のペンライトを振っている人や持っていない人などもいるので、完全なる統一された世界観は生まれることは無い。ここで注意してほしいのは別に全員が『買う義務がある訳では無い』ということ。だから、昨年や過去のものを使おうと、買わなかろうとそれは個人の自由なのだ。

 

ペンライトはグッズである。2000円あればコンサート後に友達とご飯に行ったり、自己投資のための化粧品を買ったりと新しく出来ることは多少なりとも増えてくる。なので、買わない、または買えないのもわかる。

 

実際私も必要性だけでいえば、買わなくていいと思っている。思い出としては買うが、コンサート中にペンライトを振ることがほぼないからだ。

 

では、なぜ買うのだろうか?

ちらりとフォロワーさんの中でアンケートをとってみたが、『グッズとしてあるから』『演出が綺麗だから』というものが票を抑えた。確かに。確かにそうだ。また、後者はペンライトの購入は『演出のため』である。

 

 

では、『演出』という視点から考えてみる。

正直に言おう。私はコンサートに参戦するファンを演出の一部という考えはあまり好きではない。結果論で、演出になるのならば話は別だが、コンサートを企画する初期設定から『演出』とされるならいい顔はしない。

 

私はコンサートに演出のために行っているわけではない。もちろんそれ楽しみの一つではあるが、一番は自担やメンバーを見るためだ。だから、コンサート中はほぼほぼ個人の世界に入り込み、個人として楽しみたいから行くのだ。まぁ、確かに生み出された世界に感動することもあるが、演出となるとそこには『義務』が生まれてくる。

 

ならば、某ピエロがグループにいるアーティストみたいに遠隔操作付きのペンライトと全員配布と全員回収すればいいし、某韓国アーティストみたいに元々チケット代にペンライト代を組み込んで配布すればいい。そうすれば絶対的に全員が持つため、世界観は統一され、演出として完成される。

 

しかししないのはこのペンライトで作り出す世界観は義務として拘束力はない。つまり、演出というには少し違うと考えられる。

私が考えるに演出とは必ずそれを守らなければいけない。出はけのタイミングやセトリ、照明の明暗のタイミングなど全て誰かが決めた演出を守ることで成り立つ。例えば誰かがずっとステージ上にいると次の曲が始まらない。次の曲はあの曲なのに流れてきたのは違う曲。暗転(照明を消す)のタイミングなのに消えない。この決めた演出に義務がなければ、決めた演出にはならない。つまり、演出というのは義務が必ずしも加わっていると私は考えている。また、余談だが、演出を生み出す裏方は仕事としてお金が発生するので、強制力は増す。しかし、ファンはむしろお金を払う側であるため、同じような強制力は生まれない。

 

しかし、客席のペンライトは『任意の演出』。つまり、強制力はないので、演出と言うには少し違うところも出てくると私は考える。

 

 

 

ここまで、勝手に自分的分析の『金額的視点』、『世界観の統一的視点』、『演出的視点』を見てきた。ではここで、なぜキンブレを持つのかという『利用者の視点』を考えてみる。ただこれは私はキンブレを持ってコンサートに行ったことがないので、憶測や人からの話を元に考えていくとする。

 

 

キンブレ。光量がサイリウムやペンライトよりも断然強く、中にはラメ入りのものなどがある。公式のペンライトよりも断然光は強く、世界観の統一や演出として見るなら使わない方がいいのは確実だが、これは裏を返せば『目立つ』とも取れる。

 

利用者の一番の利点はここだと考えられる。何万人というコンサート会場で自担の視点に入るのは至難の業だ。しかし、悪目立ちとも取れるが、視界に入ることが出来る。そこが大切なのだ。

コンサートの楽しみ方というのも人それぞれで中には『認知』や『ファンサービス』を目的としている人もいる。そんな人達はまず視界に入るということが、目的達成に繋がるため第一歩である。

 

しかしそれはアリーナやスタンド前列など、だいぶ可能な範囲は限られていた。遠ければ遠いほど埋もれて、個人の認識は難しくなるからだ。だから、過去には盛り髪や規定サイズ外のうちわ、グリット付きのうちわなどが出てきた。それは人よりも目立つためにある。ルール以内でいえば、双子コーデなどの服装もそれに値する。しかし、キンブレは光の目立ち。つまり、統一感のある演出であればある以上、その光は目立ち、そこに目がいくのだ。思うつぼ!!そして、光は距離があっても以前よりも目的達成の可能性が有り得る。

 

つまり、キンブレは今までの規定サイズ外のうちわやグリット付きのうちわ、盛り髪よりも目的のために大きな力を発揮するのです。だから、じわりじわりと増えてきている。

 

また、キンブレと言ってもただのキンブレではなく、独自のキンブレシートというものが作れる。オリジナリティというのは自己満足度を上げ、愛着が湧く。また、写真映えも重なれば、手元に持つ理由にもなる。

 

以上のことから、キンブレを持つのかと私は考えた。

 

 

 

改めていうが、私はキンブレについて何も思わない。きっと元々キンブレを振るのが当たり前の現場にいたし、利点も知っているし、その光の強さにも強い光だからこそ美しいという世界にも慣れてしまっているからだろう。

 

 

 

ここまで話して結局何が言いたいのかというと、この話だけではないがファン同士の揉め合いが私は嫌いなのだ。だが、私は平和主義者ではないので、正論だろうとそうじゃなかろうと『あなたは本当にそれを言える人ですか?』となる。

 

 

闇写見たり、保存してませんか?LIVE DVD転載してませんか?それを見ていませんか?無料媒体で音楽聴いていませんか?雑誌のキャプチャしていませんか?保存してませんか?チケット転売してませんか?自名義以外のチケット、有償無償問わず購入してませんか?

 

 

これだけじゃないけど、全部が守っている人なんて私は1割もいないと思っている。例えばLIVE DVD。転載されると「買わなくていいかな?」って人が増えて購入者が減り、利益も減る。雑誌や音楽も同じ。それってメンバーのためですか?でも、やっている人にも受け取っている人にも理由があるはず。それを正当化するつもりはないが、私は自分のことは許して、自分に都合の悪い相手だけ攻めることに疑問に思うのだ。だから、強い言葉だとしても真正面から注意できるのは全て正しいことをしている人だけだと思っている。

 

かと言って、強い言葉をかける資格のない後ろめたさを持つ者はどうすればいいのかなんてことは分からない。そうだなぁ。その人はもっとなぜその人がそれをするのかまで考えてから声をかけたら分かり合える部分があるのかも知らない、なんて綺麗事を言ってみようか。そうすれば「その気持ちもわかるが、こうしたいな」ともっと優しい声がかけられるはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なーんてね。

 

 

私も後ろめたいことがある人だから、何にもいう資格はありません。ただ、キンブレを毛嫌いする方々はキンブレ核兵器のひとつにでも思っているのかなってレベルで嫌うので、キンブレの世界を知っている者としてはそこまで言われると少々悲しい。現場で使っていい、悪いは置いておいてキンブレはキンブレで素敵なものですよ。キンブレで一面埋められたあの世界は非日常です。今の私の推しはキンブレを振る人達ではないので、あの非日常が懐かしくなってます。また見たいなぁー、、、

 

 

 

 

 

 

P.S. 増田さんもブログでキンブレについて?書いたみたいですね。自担や推してるグループの人が触れたというのは、「彼も言ったからやっぱりやめて!」と周りがとやかく言うのではなく少しでも後ろめたさのある貴方個人の心に問いかけてるのかなぁ?なんてね。

 

 

 

あと、めっちゃキンブレ容認してるじゃん(ブチギレ)って荒れませんよーに。笑

ジャニオタが『りさ子のガチ恋❤︎俳優沼』を読んだ。

書店でたまたま見かけたのがきっかけだった。

 

去年舞台をしていたのを知って、ずっと気になっていた作品。行きたかったが、いろんな都合上断念。見送って、忘れた頃に書店で出会った。

 

『りさ子のガチ恋❤︎俳優沼』(この先ネタバレあり)

 

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4/20に発売されたらしい。

すぐに買い、読んだ。あっという間に読めた。同じ人間を追うオタクだからだろうか、「怖い」と思いながらもページをめくる手が止まらなかった。

 

きっと普段本を読まないオタクにも読みやすいと思う。オタク用語や空気感、週刊誌や感情展開などこの本には私が体験したり、知っているものがある。

 

簡単にこの話を説明すると『2.5次元舞台俳優 翔太にハマったりさ子がガチ恋になってしまう話』。ここだけ聞けば何が怖い?推しへのお金の出費か?状況が似すぎるからか?など、色々あるかもしれないが、一番怖いのは『りさ子の気持ちやしていることに共感してしまうこと』が怖い。

 

 

貢ぎ、全ステ(私の場合多ステ)、エゴサ。カノバレや愚痴垢、週刊誌の存在に敏感になる。

 

分かる。分かるぞ。

 

ジャニオタには「貢ぐ」というものを直接的に渡すことはないが、元々好きだったバンドマンにはよく貢いでいた。その頃も思い出した。少しでも気に入ってもらえるようなものを探したものだ。

 

とっても分かる。

 

ジャニタレはTwitterをやっていないが、「ランダムにリプライ返します」なんてやつもよく私はリプした。返事が返ってくると嬉しくてファボ、RT、スクショまでしていた。

 

とっても分かりすぎる。

 

カノバレした時、「裏切られた」と思ってしまうこと。分かる。え?仕事が今の生きがいです。ファンが大切ですって言ったじゃんと何度も私も思った。

 

りさ子の気持ちが痛いほどわかった。

 

 

他にも色んなものに共感した。

 

怖かった。

 

 

事が展開していって、ガチ恋になってしまったりさ子は接触イベントで何度も会いに行ったし、貢いでいて、認知もされていたと思ったのに翔太に「はじめまして」と言われてしまう。

 

その瞬間、彼女の中に積み上がっていたものが崩れた瞬間であり、崩壊へと道を開く。

 

 

 

 

まぁ、私が考えるにオタクって自己満足なんですよ。

 

コンサートに行くのも、グッズを買うのも、貢ぐのも。全部自己満足なんです。本当は。「行かなきゃ!」何ていう使命感に駆られてチケットを取りますが、私が行かなくてもその席は他の人で埋まるんです。ジャニーズやある程度ファンがいる人は私以外にもファンは沢山いる。ファンと推しはお互いで支えあわなければ存在し合えない!相互関係にある!なんて、ファンが数が多ければ多いほどもしかしたら想像の中だけかも知れません。

 

「○○くんのために❤︎」なんて言いながら、CD買ったり、円盤買ったり、雑誌買ったり、舞台行ったり。確かに自分の為でもありながら、○○くんのためなんです。結果論、売上が出ればメディアに出れるから。それは間違っていない。

 

でも、やっぱりお金って湧いてくるわけじゃないから本当なら別のことに使えるのに食費を削って、交際費を削って、自己投資を削って、推しである貴方に使う。そうなると「あなたにはお金を払う価値があるから使っている」という感覚になるし、使っているからこそ「こっちを見てほしい」とか「ちゃんと仕事に専念してほしい」とか欲とか意見が出てくる。それって出てきても当たり前の感情だと思う。

 

 

作中である俳優が「もちろん古参とか特徴のあるファンは覚えておるけど、数が増えれば増えるほどファンは個人ではなく、ファンという個体数で感謝をするようになる」と言っていた。

 

この言葉は分かっていながらも痛かった。

 

 

私は「篠崎」という個人ではなく、「ファン」なのです。

 

 

分かっている。私はわかっている。

 

 

そう思いながら本を読んでいたが、痛いものは痛かった。

 

個人として認識して貰える日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。いや、私は普通のオタクでいたいから来ないことを望んでいるのだが。それとは反してどこかで「認知」望んでしまっているのかもしれない。その感情は認知欲求からくるものなのか、価値があると判断してお金を使っているからという推しへ求める等価交換なのかは分からない。

 

 

まぁ、この本は自己満足に納得出来なくなってきてしまったオタクにとって「危険信号」を出してくれるのかと知らない。とにかく、気になる人は一度読んでほしい。

 

 

読んで、「本当にこんな人いる?」と思う人もいるかもしれない。だが、いるのだ。

 

実際に認知のために良席を買い、実際に認知されている友人もいるし、推しと仕事がしたくてその道に進んだ人もいる。世の中そんなもんだ。

 

 

みなさんはぜひりさ子と同じ道を辿らないように……

【渋谷すばる】私にとって彼が大きな存在だったと知った日。

 

2018年4月14日。

WEBニュースで「渋谷すばる脱退のために会見を明日開く」と言われた。でもその時の自分は実際に記事を読んで、信ぴょう性は低いと判断した。

 

だってあのすばるくんだよ?関ジャニ∞が好きで、メンバーが好きで、エイターが好きな渋谷すばるだもん。それに記事もここしか言ってないし、WEB媒体もちょっと胡散臭い。タイトルも『会見!?』見たいであやふやだし。ほら、情報って今の世の中は溢れてるから自分で判断しなきゃいけないでしょ?私はきっと4月15日には「何言ってんだよ、あの記事は。すばるくんが脱退するわけないじゃん。嘘嘘。馬鹿だね、紛らわされて」と笑うはずだった。

 

 

2018年4月15日。

FC会員に『11時にサイトを見てください。』とメールが来た。

 

意味が分からなかった。私この日は自担である有岡くんの誕生日で、NEWSの静岡公演に参戦する予定だった。このメールの存在に知ったのは10時40分だった。新幹線を降りて、静岡駅で朝ご飯を食べている時だった。吐き気がした。動揺が隠せない。同行者はNEWS担だから、ただ1人11時までのカウントダウンを感じることしかできなかった。

 

フォロワーさんとLINEしたり、リプし合ったり、「怖い」と何度も言った。だって今までこんな中身のないけど、指令的なメール来たことある?頭をよぎるのは『関ジャニ∞脱退』の文字。食べたものをすべて戻してしまいたいぐらい気持ち悪かった。そして、エコパに向かうための電車で11時を迎えた。私はサイトが繋がらず、Twitterで知った。昨日の「馬鹿だね」と言って笑うことはできなかった。

 

NEWS担に囲まれた電車の中で1人ずっと泣いていた。これが都内の電車じゃなくてよかったと私は心から思った。普通の人が少ないから見られないし、みんなNEWSに夢中だった。しかし、私の頭には渋谷すばるしかいなかった。

 

スクショで見た『関ジャニ∞よりファンの皆さまへお知らせ』。「渋谷すばるです。」から始まった文章。「ジャニーズ事務所を辞めさせて頂く決断を致しました。」何これ。本当に意味が分からず、ずっと泣いた。頭が追い付かなかった。

 

とにかく泣きながら何度も同じ文章を読んだ。でもそこに書かれていることは変わらなかった。

 

 

21年、私と生きた年数と同じだけいたんだね、すばるくん。

関ジャニ∞は嫌いじゃないんだね。

良かった。

 

 

そう思った。でも「応援してるよ」という言葉は出なかった。いや、正しくは出せなかった。だって、この先もずっと関ジャニ∞には渋谷すばるがいると思っていたから。渋谷すばるがいない関ジャニ∞なんて、想像できなかった。だって、彼は関ジャニ∞のトップじゃん。彼の歌、トーク、空気感があるからこその関ジャニ∞じゃん。彼を責めたいのではないが、彼が辞める、彼がいない関ジャニ∞を責めてしまった。

 

電車やエコパでも『渋谷すばる』という名前が少しずつ飛ぶようになった。胸が痛かった。興味関心がないわけではないが、外と中では大きく感じ方が違うらしい。その何気ない言葉が胸に刺さっていた。

 

エコパでグッズを並びながら、自担はお互い違いながらも渋谷すばるのことが好きなフォロワーと電話をした。ついていかない頭で、出した言葉はめちゃくちゃだったと思う。でも、お互い思っていることを言った。すると、会見が開かれていることを知った。本当になってしまった。記事は嘘ではなかった。会見を見るのは怖かった。彼らの口から言葉を聞いてしまうのが。現に翌日になって、やっとZIPの録画は見た。母が録画をしてくれていたらしい。でも、ちゃんとしたものはまだ見れていない。

 

そして、電話を切ると急いでグッズを買った。そして、急いで開演ぎりぎりで公演に入った。デジチケってやっぱり席がわからないから嫌いだと思った。モチベーションが0のまま入った席はアリーナのしかも埋もれもしない最高にいい席だった。何これ。意味が分からなかった。公演中、NEWSの自担は凄く見えた。かっこよかった。美しかった。可愛かった。会えてうれしいと思った。公演に入れてよかったと思った。

 

しかし、渋谷すばるのことは離れなかった。

 

 

公演中、NEWSの6人時代の歌を歌っていた。「あ、このパートは亮ちゃんだったな」とふと思った。こうなるのかと思った。私は4人からのファンだからNEWSの錦戸亮は一般知識しかない。渋谷すばるもこうなっていくのかと思った。

 

渋谷すばるの歌のパートも誰かがカバーして、それが当たり前になってその人のパートになっていくし、彼が歌っていたソロ曲は今後一生歌われることがない。彼がどんどん薄れていくのだと。

でも、それって時間が経つのでしょうがないとは思っている。でも頭と心が必ずしも一致するとは限らない。薄れていくのも怖いのだが、私がこの点で一番恐れているのはパートを引き継いだメンバーと渋谷すばるを比較してしまうことだ。関ジャニ∞から渋谷すばるを消すことが正解だとは思っていないが、いつまでも前に進めない、切り替えのできないファンでいたくはなかった。

どう考えた時、全然泣くような曲ではないのに渋谷すばるを思いながら、泣いてしまった。

 

NEWS6割、渋谷すばる4割というぐらいの気持ちだった公演が終わった。NEWSに罪悪感を持ってしまった。ごめん、100%の気持ちで見てあげられなくて。

 

そして、エコパを離れ、ご飯を食べ、新幹線に乗った。その時、私は気持ちの整理がまだできていなくて、本音をぶちまけた。

 

関ジャニ∞渋谷すばるという方程式が成り立っているので、彼がやめることが受け入れられないこと。長年作り上げてきた関ジャニ∞の柱である渋谷すばるがいなくなることで、世の中の関ジャニ∞の価値が変化してしまうこと。それによって、自担やメンバーのメディア露出が減ってしまうこと。渋谷すばるが過去の人になってしまうこと。6人で頑張る姿を見ても「7人が好きだった」と思ってしまうこと。当たり前だと思っていたものへの変化に1人取り残されてしまうこと。

 

たくさんあった思っていることを何も考えずにブチまけた。

 

怖くて、会見も見れていない人が何を心配してんだって思うかもしれないけど、不安しかありません。また、表向きだけでも「応援している」と呟く人が増えていたことに、焦りも感じていた。

 

このことをぶちまけると、フォロワーさんが「責めてもいいと思う」、「焦らなくてもいい」と言ってくださり、また新幹線でぼろぼろと泣いてしまった。

 

 

ここに来てやっと、私の中での渋谷すばるの存在の大きさに気付きました。

 

 

私、彼が大好きなんです。自担は別の人ですが、自担と並ぶぐらい好きと言っていた。彼には彼の良さ、こっちの彼には彼の良さ。コンビではなく好き。そう思ってきた。

私は渋谷すばるが好きで、彼を尊敬していた。私にはできないことをやり遂げる、言葉にできる彼は私にとって一つの目標や憧れだったんだと思います。だから、そんな彼が出した答えは彼らしいのかもしれません。

 

本当は背中を押してあげたいんです。「頑張って、これからも応援している」って言いたいんです。でも、関ジャニ∞じゃなくなる、ジャニーズ事務所所属じゃなくなるということは、きっともう2度とこの7人が揃うことはないと思っています。妄想的な夢を言えば『音楽を学んだすばるくんが作った曲を関ジャニ∞が歌う』とか『MCですばるくんの話が出る』とか。でもそれって、他の脱退者が出たグループはやってます?MCで名前を出して、「やめろ。笑」と言われていませんか?今回のすばるくんの件が円満退所であるかとか他のレーベルに入らないかとかいろいろな条件が合わさらないと本当に難しいのではないかと思っています。しかも、退所までに私が彼に会える場が想像できないんです。ジャムが見納めだったなんて、そんなの酷いし、ずるいよ。って思ってしまいます。私は7人が好きだからこそ、受け入れられないんでしょう。

 

 

もしかしたら時間がたてば、彼をちゃんと送り出してあげられるかもしれない。彼の眼を見て、彼の声を聴いて、彼の姿を見れるかもしれない。そう思いましたが、2018年4月16日。翌日になっても曲は聞けない、会見はちゃんとしたものは見れない、彼の姿も見れないんです。録画した関ジャムはオープニング映像で断念しました。こうやって、関ジャニ∞自体を避けてしまうのも怖い。

 

彼をちゃんと見て、応援する気持ちを作るにはもっと時間がかかるかもしれません。でも、『関ジャニ∞渋谷すばる』まであと3ヶ月しかないんです。ちゃんと目に焼き付けておきたい、でも苦しい。そんな葛藤がしばらく続くのでしょう。

 

今の目標は『渋谷すばる』と聞いて泣かないことです。

 

 

 

 

 

P.S.この内容を見て、誰だかわかってもそっとしておいてください。

NEWSのネタバレ禁止について思うこと

 

こんにちは。

NEWSのツアーが始まりますね。楽しみで楽しみでゲロゲロしそうです。お腹が超絶痛い。まぁ、私の参戦まではまだ時間があるのですが、今からお腹が痛いってなったらどうしたらいいのでしょうか?……知らない?そんなの勝手にしろ?そうですよね、失礼しました。

 

今回ブログに書こうかなーって思ったことはここ数年?やってるNEWSのツアー内容ネタバレ禁止について。他Gの皆さん、よく「あれ?NEWS今ツアー中だったんだ?」みたいなことありませんか?あれ、NEWS本人達の依頼でセトリなどのネタバレをSNSにあげないでくれと言われているのです。理由としては「みんなが初めての気持ちで楽しんでほしい」とかだった気がする。今年もなってるのかな??

 

あれ、私的にはあまり「いい案だね!」と言えないのです。今回はそのお話。

 

 

みんなに楽しんでもらいたいと思うNEWSのホスピタリティはとても最高なのですが、あれにはデメリットが大きいと思っています。

 

それは『話題性』です。

 

SNSでみんながレポや感想をあげるから、他グループのファンや他の人が興味を持ったりします。しかし、レポもネタバレの範囲になるかがグレーゾーンなため抽象的な「楽しかった」というツイートになり、「NEWSのコンサートって面白そう!」となりファンが増えていくという流れを絶っているのです。

 

また、NEWSってテレビやラジオ、雑誌も最高だけど、コンサートが一番だと私は思ってます。綺麗な歌声に、こだわった衣装や演出、ストーリー性などNEVERLANDを見ていただけた方にはわかるかも知れませんが、コンサートの異常な完成度の高さ。演習で言えば、嵐さんと対等に並べると思っているほどです。

 

それを周りには知らせない!?勿体なくないですか!?

 

数週間前のネット記事で『最近は視覚的に楽しむコンサートが増えている』と言われていて、NEWSもその例に入っていました。多分セカオワがきっかけなのだと思います。あの演出のレベルの高さに魅了され、今日を持った方もいるのでは?(私は興味を持って、実際にライブにも参戦した人)

 

 

また、今はCDが売れない世界。その中に無料や配信が溢れているから価値が下がっているのです。(CDショップから言えばジャニーズとAKBはまだ売れてる方らしいが)

 

そんな中伸びているのは『ライブコンテンツ』。コンサートです。世の中のモノ消費からコト消費への変化は大変大きく、今の需要は体感型に変わっています。体感することでの価値を求めているのです。だから、フェスなども増えたし、注目度も高まっている。

 

 

こんなに世の中の流れがコンサートになっているのにそれを世の中に知らせない!?マイナスではありませんか!?

 

 

むしろほかのアーティストさんの中にはコンサートのうち、限定して「ここだけムービー撮ってよし!写真よし!」などをしてSNSで共有させることも!昔ならありえないけど、今はSNSでウェブ記事より、クチコミの方が重視される時代。「○○のコンサートと最高!」と写真があれば説得力も興味も増す。

 

ジャニーズだからここまでするのは難しいかもしれませんが、NEWSの価値をもっと表に出していいと思っています。

 

まぁ、そんな感じで世の中が変化してる中でめっちゃNEWS抗ってんなぁと思ったので、ネタバレ禁止についてはもう少し考え直した方がいいと思うなぁ。っていうお話でした。

 

(一個人の感想だよ!)