好きなものは好きなんです。

好きなものを好きという、簡単で難しいこと

ペンラやキンブレについて考えてみた。

 

きっかけは2018/04/29のSORASHIGE BOOK。

加藤シゲアキさんのラジオのお便りで「絶賛ツアー中のシゲアキさん的にはキンブレは賛成ですか?反対ですか?」というものが来て、シゲアキさんが『反対』と答えたというもの。

 

(∵)(キンブレ)反対です。これ言っちゃうとまた炎上しちゃうかな。ペンライト買ってとかそこまで言いたくはないのですけど、みんなも演出の一部というか、自分が自分がじゃなくてみんなで作り上げて行ったほうが一体感もあっていいんじゃないかなと。だから賛成か反対かであれば反対です。

 

とりあえず私が見たツイートを引用させていただいたのですが、これについて疑問が何点か上がった。

 

『キンブレを持っているファンの理由が理解出来ていないのでは?』とか『ファンはなぜペンライトを購入するのか?』とか『アイドルはペンライトをファンに買わせる理由は演出なのか?』とか。そんな疑問がどんどん出てくると、ちょっとイラッとしてきてしまった。

 

だって、ペンライトって2000円ぐらいするもので、使えるのってその年のみ。それを「演出のため」という確かに綺麗だけどそちらの満足のために買わせられていると考えられる。ファンのコンサート参戦スタイルはマチマチ。私は基本ペンライトは「思い出」として購入しているが、公演中は野鳥タイプなのでほぼ使わない。金額としてはそんなにしないが、使用価値が限られるものをそちらの自己満足で買うとなると少しムッとした。

 

まぁ、あの140文字でのツイートなのできっと言葉が省かれているし、ニュアンスが伝わらないと思い、音声を聞くとそんなことなかった。シゲアキさんは優しく言葉を選び、説教臭くならないように気を使っている。『反対』と言ったのもリスナーが「賛成か?反対か?」と聞いているからそう答えているのかもしれない。実際さっきまでムッとなっていたが、ずっと収まった。

 

 

もしかして、キンブレについてファン同士で揉めているのはファンや記事など間接的媒体のせいなのでは?と思った。

 

文字にするとその言い方や少しの間で意味は変わってくる。文字数制限されたもので伝えようとすると、語を少なくするからより言い方は強くなるし、細かいニュアンスは伝わりにくくなる。また、何でもそうだがやることには意味があるし、禁止していることにも意味がある。だが、どちらがを強く言ってしまうと反発心というものが必ず出てくる。それも関係してくるのではないか?

 

 

ちなみに反発心でムッとして色々書いたが、私自身はキンブレについてはどうも思ってない。キンブレシートは過去に作ってもらったことがあるが作ってくれた人に会えていないので手元にはないし、まずキンブレ自体過去に持っていたものは壊してしまい手元にはない。なので、私は現場に持っていかないし、もし持っていたとしてもフォトジェニッとしてしか使わないだろう。だって、手にはペンラを持つ余裕等なく双眼鏡が握られるから。そんな私から見たキンブレとペンライトについてを書いていこうと思う。

 

 

 

ジャニオタになる前はライブに通っていて、その時はサイリウム(百均などで売っている使い捨ての光量の弱いペンライト)から、コスパが悪いことに気づきキンブレに変えた。サイリウムは使い捨てだが、キンブレは電池が切れたら変えることが出来るし、廃ることがない。つまり、壊れるまで一生モノだと知っている。また、光量も強いから一段と綺麗な世界観が生まれることも知っている。

 

つまり『金額』という面でいえば、ペンラよりも断然キンブレの方がコスパがいい。ペンラはその年のみ。しかし、キンブレは壊れるまでずっと。

 

なので、たまに『キンブレ買うお金があるなら、公式ペンラぐらい買えるだろ?』という煽りや注意の仕方は少しずれている。実質、コスパはキンブレの方がいいのだから。

 

 

また、シゲアキさんも言っていたように『世界観の統一』の視点から見てみる。

 

確かにあの同じカラーで統一された世界観は美しい。だが、実際コンサートに行くと、昨年や過去のペンライトを振っている人や持っていない人などもいるので、完全なる統一された世界観は生まれることは無い。ここで注意してほしいのは別に全員が『買う義務がある訳では無い』ということ。だから、昨年や過去のものを使おうと、買わなかろうとそれは個人の自由なのだ。

 

ペンライトはグッズである。2000円あればコンサート後に友達とご飯に行ったり、自己投資のための化粧品を買ったりと新しく出来ることは多少なりとも増えてくる。なので、買わない、または買えないのもわかる。

 

実際私も必要性だけでいえば、買わなくていいと思っている。思い出としては買うが、コンサート中にペンライトを振ることがほぼないからだ。

 

では、なぜ買うのだろうか?

ちらりとフォロワーさんの中でアンケートをとってみたが、『グッズとしてあるから』『演出が綺麗だから』というものが票を抑えた。確かに。確かにそうだ。また、後者はペンライトの購入は『演出のため』である。

 

 

では、『演出』という視点から考えてみる。

正直に言おう。私はコンサートに参戦するファンを演出の一部という考えはあまり好きではない。結果論で、演出になるのならば話は別だが、コンサートを企画する初期設定から『演出』とされるならいい顔はしない。

 

私はコンサートに演出のために行っているわけではない。もちろんそれ楽しみの一つではあるが、一番は自担やメンバーを見るためだ。だから、コンサート中はほぼほぼ個人の世界に入り込み、個人として楽しみたいから行くのだ。まぁ、確かに生み出された世界に感動することもあるが、演出となるとそこには『義務』が生まれてくる。

 

ならば、某ピエロがグループにいるアーティストみたいに遠隔操作付きのペンライトと全員配布と全員回収すればいいし、某韓国アーティストみたいに元々チケット代にペンライト代を組み込んで配布すればいい。そうすれば絶対的に全員が持つため、世界観は統一され、演出として完成される。

 

しかししないのはこのペンライトで作り出す世界観は義務として拘束力はない。つまり、演出というには少し違うと考えられる。

私が考えるに演出とは必ずそれを守らなければいけない。出はけのタイミングやセトリ、照明の明暗のタイミングなど全て誰かが決めた演出を守ることで成り立つ。例えば誰かがずっとステージ上にいると次の曲が始まらない。次の曲はあの曲なのに流れてきたのは違う曲。暗転(照明を消す)のタイミングなのに消えない。この決めた演出に義務がなければ、決めた演出にはならない。つまり、演出というのは義務が必ずしも加わっていると私は考えている。また、余談だが、演出を生み出す裏方は仕事としてお金が発生するので、強制力は増す。しかし、ファンはむしろお金を払う側であるため、同じような強制力は生まれない。

 

しかし、客席のペンライトは『任意の演出』。つまり、強制力はないので、演出と言うには少し違うところも出てくると私は考える。

 

 

 

ここまで、勝手に自分的分析の『金額的視点』、『世界観の統一的視点』、『演出的視点』を見てきた。ではここで、なぜキンブレを持つのかという『利用者の視点』を考えてみる。ただこれは私はキンブレを持ってコンサートに行ったことがないので、憶測や人からの話を元に考えていくとする。

 

 

キンブレ。光量がサイリウムやペンライトよりも断然強く、中にはラメ入りのものなどがある。公式のペンライトよりも断然光は強く、世界観の統一や演出として見るなら使わない方がいいのは確実だが、これは裏を返せば『目立つ』とも取れる。

 

利用者の一番の利点はここだと考えられる。何万人というコンサート会場で自担の視点に入るのは至難の業だ。しかし、悪目立ちとも取れるが、視界に入ることが出来る。そこが大切なのだ。

コンサートの楽しみ方というのも人それぞれで中には『認知』や『ファンサービス』を目的としている人もいる。そんな人達はまず視界に入るということが、目的達成に繋がるため第一歩である。

 

しかしそれはアリーナやスタンド前列など、だいぶ可能な範囲は限られていた。遠ければ遠いほど埋もれて、個人の認識は難しくなるからだ。だから、過去には盛り髪や規定サイズ外のうちわ、グリット付きのうちわなどが出てきた。それは人よりも目立つためにある。ルール以内でいえば、双子コーデなどの服装もそれに値する。しかし、キンブレは光の目立ち。つまり、統一感のある演出であればある以上、その光は目立ち、そこに目がいくのだ。思うつぼ!!そして、光は距離があっても以前よりも目的達成の可能性が有り得る。

 

つまり、キンブレは今までの規定サイズ外のうちわやグリット付きのうちわ、盛り髪よりも目的のために大きな力を発揮するのです。だから、じわりじわりと増えてきている。

 

また、キンブレと言ってもただのキンブレではなく、独自のキンブレシートというものが作れる。オリジナリティというのは自己満足度を上げ、愛着が湧く。また、写真映えも重なれば、手元に持つ理由にもなる。

 

以上のことから、キンブレを持つのかと私は考えた。

 

 

 

改めていうが、私はキンブレについて何も思わない。きっと元々キンブレを振るのが当たり前の現場にいたし、利点も知っているし、その光の強さにも強い光だからこそ美しいという世界にも慣れてしまっているからだろう。

 

 

 

ここまで話して結局何が言いたいのかというと、この話だけではないがファン同士の揉め合いが私は嫌いなのだ。だが、私は平和主義者ではないので、正論だろうとそうじゃなかろうと『あなたは本当にそれを言える人ですか?』となる。

 

 

闇写見たり、保存してませんか?LIVE DVD転載してませんか?それを見ていませんか?無料媒体で音楽聴いていませんか?雑誌のキャプチャしていませんか?保存してませんか?チケット転売してませんか?自名義以外のチケット、有償無償問わず購入してませんか?

 

 

これだけじゃないけど、全部が守っている人なんて私は1割もいないと思っている。例えばLIVE DVD。転載されると「買わなくていいかな?」って人が増えて購入者が減り、利益も減る。雑誌や音楽も同じ。それってメンバーのためですか?でも、やっている人にも受け取っている人にも理由があるはず。それを正当化するつもりはないが、私は自分のことは許して、自分に都合の悪い相手だけ攻めることに疑問に思うのだ。だから、強い言葉だとしても真正面から注意できるのは全て正しいことをしている人だけだと思っている。

 

かと言って、強い言葉をかける資格のない後ろめたさを持つ者はどうすればいいのかなんてことは分からない。そうだなぁ。その人はもっとなぜその人がそれをするのかまで考えてから声をかけたら分かり合える部分があるのかも知らない、なんて綺麗事を言ってみようか。そうすれば「その気持ちもわかるが、こうしたいな」ともっと優しい声がかけられるはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なーんてね。

 

 

私も後ろめたいことがある人だから、何にもいう資格はありません。ただ、キンブレを毛嫌いする方々はキンブレ核兵器のひとつにでも思っているのかなってレベルで嫌うので、キンブレの世界を知っている者としてはそこまで言われると少々悲しい。現場で使っていい、悪いは置いておいてキンブレはキンブレで素敵なものですよ。キンブレで一面埋められたあの世界は非日常です。今の私の推しはキンブレを振る人達ではないので、あの非日常が懐かしくなってます。また見たいなぁー、、、

 

 

 

 

 

 

P.S. 増田さんもブログでキンブレについて?書いたみたいですね。自担や推してるグループの人が触れたというのは、「彼も言ったからやっぱりやめて!」と周りがとやかく言うのではなく少しでも後ろめたさのある貴方個人の心に問いかけてるのかなぁ?なんてね。

 

 

 

あと、めっちゃキンブレ容認してるじゃん(ブチギレ)って荒れませんよーに。笑